校長式辞

2025年9月の記事一覧

2学期始業式 校長講話

生徒の皆さん、おはようございます。

長い夏休みが終了し、本日から2学期が始まります。

 

長い夏休みですので、悩み事や心配事等を相談する機会があまりなかったかもしれません。相談することで解決策が見つかるものです、見つからなくても気持ちが楽になるものだと思います。友達や学校の先生、スクールカウンセラーの先生等に話すのもよいかと思います。

 

私も高校時代がありました。誰に相談したと思いますか。祖母の家には本がたくさんあったので、夏休みは勉強にいって、美味しいものをいただきながら相談相手になってもらいました。お盆や正月は親戚の叔父さんに仕事の話をしてもらいながら将来のアドバイスをもらっていました。勉強方法は先生に質問しました。ある日、教科担任でもない英語の先生にお勧めの参考書は?と勇気を出して聞いてみました。数日後、駿台文庫の伊藤和夫先生の文法書をその先生から手渡されました。嬉しくて、有難くて、何度も繰り返し勉強しました。何度も音読してみました。例えば「be interested in」と何度も繰り返し音読しました。英語学習には何より音読が大切だといいます。「國弘の前に國弘なし。國弘の後に國弘なし」と言われた同時通訳、國弘正雄先生は「只管打坐」になぞらえて「只管音読」を広めました。

 

曹洞宗の開祖である道元禅師は「只管打坐」すなわち、身を正しくして、ただひたすら坐りなさいと言われました。私は仏教系の大学出身で、『只管打座』の教えが好きでした。

 

何のために修行をするのか?悟りを開くために修行すると思っていませんか? この『只管打座』は違うのです。ただひたすらに坐禅をするのです。その先の悟りを意識せず、ただひたすらに坐禅し集中するのです、それは坐禅する姿こそが真の悟り(お釈迦様の姿)だとの教えだからです。

 

一生懸命に努力してきたことに成果が見え始めると人は努力をやめ慢心するものです。するとせっかくの成果は、手の中からこぼれ落ちてしまう。そんな戒めの教えです。私は、何をするにもなかなか行動に移せず、後になって、やっておけば良かったと後悔することがたくさんありました。この言葉聞いたとき私は、「周りのせいにせず、今、してみなさい。その姿が素晴らしいいのです。間違いに気づいたら修正する。今を大切に生きなさい」と言われた気がしました。仏教の教えには、今を生きる我々にも、手を差し伸べてくれる言葉がたくさんあります。秋の夜長、調べてみてはいかがですか。

 

本日は、校訓について話します。

校訓とは、本校の教育を通して、皆さんに「こうなって欲しい」という願いを込めた言葉です。

 

本校の校訓は、「明るく、清く、正しく、強く、美しく」です。

 

まず、校訓の「明るく」についてです。人生には多くの試練や困難があります。勇気を持って踏み出し、乗り越える努力が必要です。そのためには、「自分はできる」「自分は大丈夫だ」というように肯定的に捉えること、ポジティブに捉えることです。その根本にあるものが「明るさ」です。

 

「清く」は、純粋さです。人柄の清らかさは、人として、正しい心を芽生えさせ、歩むべき正しい道を示します。人間誰しもが心の綺麗な人になりたいと願います。願い続けることが、誠実な行動にも繋がります。

 

「正しく」は、正義の象徴です。「天知る地知る己知る」という諺があります。悪い行いは、誰も見ていないと思っても、天の神も地の神も見ています。それをする自分自身の心が見ています。 悪事は必ずいつかは露見するものだということです。誠実に正しく生きることが大切です。

 

「強く」は、強靱な身体と意志の力です。学習、部活動で大切なことは、繰り返しと継続です。繰り返しと継続を可能にするものが、肉体と意志の強さです。

 

「美しく」は、美を感じ取る人になってほしいということです。多くの人が見過ごしてしまうものの中にも本当の美があることもあります。美を発見できる人になって欲しいということです。

 

生徒の皆さんには、高校生活を通して、知、徳、体のバランスがとれた生徒となり、何事にも果敢(かかん)に挑戦し、地域、社会に貢献できる人間に育って欲しいと思います。

 

この素晴らしい校訓、「明るく、清く、正しく、強く、美しく」を胸に、高校生活を送って欲しいと思います。

 

では、1学期に続き、あいさつ、服装、清掃等、人としての礼節を厳守し、充実した2学期にしましょう。以上で講話を終了いたします。